♪ちょっといい話♪

在宅ビジネス、副業、副収入、SOHOのあい間に、教育、子育て、健康、ダイエット、人生等に「ちょっといい話」の雑誌や新聞の記事を紹介します。

一方、同時期にはキューバで共産主義革命が成功、

大臣をつとめた後のチェ・ゲバラがボリビアでゲリラ活動を始める。

バルビーは米情報局と連携し、ゲバラの殺害計画を立案する。

殺害が成功すると、ゲバラより15歳も上の世代だったバルビーは言い残す。

「第2次世界大戦を戦っていたらこんな男はとっくに戦死していた。

惨めな冒険主義者にすぎない。マスコミがつくりあげた偶像だ」

そんなバルビーの順風生活は長くはつづかなかった。

彼のあからさまな活動がユダヤ人組織の目にとまり、

「ナチ・ハンター」のク夫妻らから告発される。

戦犯として国際社会から厳しい追及を受けることに。

83年にボリビアからフランスに護送され、

通称「バルビー裁判」と呼ばれる戦犯法廷の被告人席に座らされた。

同国では死刑制度が廃止されており、最高刑の終身刑となった。

91年、がんに蝕まれリヨンで獄死する。

映画はいくつかの場面が時代順に追われる。

1、ナチスのゲシュタポ時代

2、米工作員として働いた欧州時代

3、南米での逃亡・活動

4、フランスでの戦犯追及

作品はすべて当事者の証言(インタビューしたもの)と歴史的映像を使って構成。

裁判では、ベトナム系フランス人の弁護士が

バルビーを熱心に弁護する様子も生々しい映像で迫ってくる。

だが、87年7月3日、裁判官と陪審員は「終身刑」の判決を言い渡した。

バルビーの残した言葉が紹介されている。

「(拷問や殺人のために雇うなど)あなた方全員が私を必要としたのに、

裁かれるのは私ひとり。そこに偽善がある」

「国家悪」を根本から問いかける象徴的な場面である。

ナチス時代に生き、そこで身につけた能力を反共主義の闘争のために

利用された本人の、それは精一杯の言い訳の言葉であったろう。

わが国では戦中、ほとんどの作家や言論人が軍部に迎合したものの、

一転、戦後は不問に付された。

戦後、『国家悪』の大著を記した経済学者の故・大熊信行創価大学教授は、

国家悪の根は「人間の内面」にあると喝破し、

単なる政治学では平和を享受する国家は確立できないと主張した。

「人間の内面」を変革する方法、

それこそ正しき宗教の役割であることを思い起こさせる。(ジャーナリスト)

●東京・銀座シアトルシネマなどで7月ロードショー。

詳しくは公式ホームページhttp://www.teki-tomo.jp/

柳原滋雄 やなぎはら・しげお1965年、福岡県生まれ。
著書に『カンボジアPKO体験記』など。

(聖教新聞より)


◆私は、和歌山在住の【miz】といいます。

不況で30数年勤めていた会社が閉鎖、全員解雇となり

副収入を捜していた時です。

工場で物を相手に仕事をしていた私にでも出来る在宅ビジネスに出会いました。

おまけに喜んでもらえて副収入になる在宅ビジネスでした。

本当に良かった。(^ △ ^)♭♪ この在宅ビジネスに出会えて!
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ドキュメンタリー映画「敵こそ、我が友」

ナチ戦犯を題材に「国家悪」描く
裁判であぶり出された"内面の闇"
 

2005年に96歳で死去したサイモン・ウィーゼンタールは

「ナチ・ハンター」の一人として、

米ロサンゼルスに自身の名を冠する

「サイモン・ウィーゼンタール・センター」を設立した。

国や団体を問わずわずかな「ナチ擁護」も許さず、

戦犯追跡にかかわった人数は4ケタにのぼる。

この7月に封切り予定のフランス映画『敵こそ、我が友』は、

同じようにナチ・ハンターとして知られる

クラルスフェルト夫妻(フランス)の告発で捕まった大物戦犯

クラウス・バルビー(1913〜91)を主人公にしたドキュメンタリー映画である。

バルビーは、第2次大戦中、ドイツ軍が占領した

仏リヨン市でレジスタンス運動を取り締まるゲシュタポの責任者として、

「リヨンの虐殺者」との悪名を広げた人物。

映画でも、拷間相手の歯をペンチでへし折ったなどの

被害者らの生々しい証言が相次ぐ。

ナチスドイツの心酔者で、

粗暴で残忍な性格だったバルビーは戦後、

多くのナチ戦犯と同様に、名を変えて逃亡をつづけた。

時代は、東西冷戦へと移る。

ナチ時代に身につけた拷問や尋聞のノゥハウ、

反共産思想に目をつけたのが、西側の指導国ともいえる米国だった。

バルビーは、欧州全体の「反共産運動」のために"有用"な工作員として、

米国情報局によって雇われ、同時にかくまわれた。

そうしてナチ戦犯の追及から逃れつづけた。

それでも抗しきれなくなると、米側は南米へ逃亡ルートを開いて救った。

「クラウス・アルトマン」という変名のパスポートを作成。

バルビーは南米一帯に散らばっていたナチス残党の中心者として、

武器の密輸や情報収集にあたった。

生活の拠点であったボリビアに武器取引会社を設立、

巨万の富を得るまでに成功する。

●東京・銀座シアトルシネマなどで7月ロードショー。

詳しくは公式ホームページhttp://www.teki-tomo.jp/

柳原滋雄 やなぎはら・しげお1965年、福岡県生まれ。
著書に『カンボジアPKO体験記』など。

(聖教新聞より)

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千人の命を救う
 
江戸時代中期の産科医で、賀川玄悦という人物がいる。
 
そんな時代に、男性の産科医がいたのかと、意外に思うかもしれない。
 
でも産科の専門医というのは、人数はわずかだが、
 
実は平安時代から存在していた。
 
ただ、お産は、たいがい産婆が手がけ、
 
難産による死亡率は、かなり高かった。
 
たとえば逆子で、赤ちゃんが外に出てこられずに死んでしまうと、
 
母体も死を待つだけだった。
 
数字が記録として残っていないので、正確にはわからないが、
 
現在、帝王切開は約二割。
 
そこから単純に推定すると、放っておけば二割が難産になり、
 
そのまた何割かは死に至ったのだろう。
 
まさにお産は、男が戦場におもむくのと、同じ覚悟が必要だった。
 
賀川玄悦は、こういった場合に、日本で初めて外科的処置を行ない、
 
母体の命を救った人物だ。
 
もとは近江の生まれだが、京都に出て、鍼や按摩によって、
 
貧しい人々の病気治療をしていた。
 
だがそれだけでは食べていかれず、古鉄の回収業もしていた。
 
四十歳の時、隣の家で難産があり、母体が死に瀕した。
 
玄悦はこれを哀れみ、ひと晩、考えた末、商売ものの鉄鉤を使って、
 
死んだ胎児を取り出し、母体を助けたのだ。
 
以来、千人の産婦を助けたいと誓いを立てた。
 
だが現代の臓器移植と同じように、玄悦の処置も、社会的に大反発を受けた。
 
また特に女性の性に関わることだけに、白い目で見られたことだろう。
 
彼の生涯は、偏見との戦いだったにちがいない。
 
それでも次第に理解され、入門する弟子も増えて、
 
晩年には産科術の専門書を出版するに至った。
 
玄悦の死後も、賀川流産科術は代々隆盛を極め、
 
明治になって西洋医学が導入されるまでに、弟子は二千人に及んだ。
 
玄悦は触診や内診を、日本で初めて行なった医者でもあり、
 
それによって胎児が頭を下にしていることに気づいた。
 
当時は胎児の頭は上向きと信じられていたのだ。
 
これはイギリスのスメリーという産科医と、ほぼ同時期の発見で、
 
世界に先駆けた大発見だった。
 
玄悦は日本が世界に誇るべき人物なのだ。
 
彼の唯一の楽しみは、毎年冬が来る前に、家のない子供たちのために、
 
綿入れの着物を配って歩くことだったという。
 
私は、こんな人物を、もっと知ってもらいたいと願ってやまない。
 
植松三十里
1954年、東京都生まれ。東京女子大学文理学部史学科卒業後、
出版社勤務などを経て渡米。
80年「ハドル・アンド・ブレイク」で集英社青春小説新人賞佳作入選。
専業主婦のかたわら季刊日本語新聞「ひまつぶ新報」を発行。
2002年、「まれびと奇談」で第13回九州さが大衆文学賞佳作入選。
03年、「桑港(サンフランシスコ)にて」で第27回歴史文学賞を受賞し、
これに「燃えたぎる石」を併載して『桑港にて』を刊行。
他の作品に『黍の花ゆれる』『千の命』『天璋院と和宮』などがある。

(第三文明4月号より)

◆私は、和歌山在住の【miz】といいます。

不況で30数年勤めていた会社が閉鎖、全員解雇となり

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不安、疲れ、無気力の原因に
 
血液を通じ、人体のあらゆるところに、ブドウ糖が運ばれている。
 
これが全細胞のエネルギー源である。
 
ゆえに、血糖値の異常な低下は、心身の働きを低下させる。
 
極端な場合、低血糖が死を招くこともある。
 
1924年、米国のハリス博士は、砂糖の過剰摂取などの食事の崩れによって、
 
すい臓からインスリンが過剰に分泌され、
 
血糖値を低下させるという論文を発表した。
 
だが、その提唱は、広く理解を得るまでにはいたらなかった。
 
時を経て、1950年ごろ、米国医師ガイランドは、
 
自分自身の症状ー不安、ふるえ、無力感、めまい、失神、心悸亢進、
 
集中力と記憶力の低下ーについて、その原因を追究するうち、
 
ハリスの論文に出合う。
 
それによって、自分の自覚症状が低血糖症に由来することを理解した。
 
彼はその後、600人以上の低血糖症患者を診療、症状のリストを発表した。
 
神経過敏、怒りっぽい、極度の疲労、無気力、ふるえ、脱力、うつ、
 
めまい、眠い、頭痛、消化障害、忘れっぽい、不眠、理由不明の不安、
 
精神的な混乱……など。
 
低血糖症を学んだ私は、来談者の訴えと食生活から低血糖症を疑うと、
 
それへの理解が深い医師に紹介したが、
 
ほとんどの人たちが、低血糖症であることが分かったのだ。
 
糖分の取りすぎは、血糖を下げるインスリンの過剰分泌で、
 
かえって血糖値の低下を招く。
 
大学の講義で低血糖症について話すと、
 
学生の反応は殊のほか大きく、たとえば次のような報告があった。
 
「糖分の取りすぎは、私にとって耳が痛かった。
 
のどが渇けば、清涼飲料をがぶがぶ飲み、チョコレート、ケーキ、
 
菓子パンなど、甘いものが大好きで、いつも食べていた。
 
ご飯よりも、食べる量が多かったと思う。
 
思い返せば、私は立っていると、すぐ座りたくなったし、
 
朝からあくびばかりしていた。
 
自分でも驚くほど、集中力もなかった」
 
この報告と似たような生活をする学生は少なくない。
 
近ごろは、学力の低下が問題視されることも多い。
 
だが思うに、そもそも集中力のない学生であれば、
 
学力が低下するのも当然であろう。
 
岩手大学名誉教授 大沢博
 
(聖教新聞より)

◆私は、和歌山在住の【miz】といいます。

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◆「呼保義」

「保義」とは小役人で、将軍でなく小役人と睦んでほしいという意。

自分を卑下しているようなニックネームだが、

自分の果たすぺき役割を忘れないための自称とも考えられる。

保義とは、地元から選ばれた民と直に接する役人のことで、

宋.江自身が民のことを最も知っており、

事務処理能力が優れていると自認していたのだ。

戦において宋江は、豪傑たちの組み合わせについて腐心し、

それぞれの能力を存分に発揮できるよう配慮している。

適材適所の人材配置は、優れた人物把握と事務能力の高さの証明だ。

◆「孝義の黒二郎」

孝行と忠義とを併せ持つ人物という意。

宋江は孝行を尽くす謙虚な人物であり、

忠義のためならば自分が不利な立場に置かれることも厭わない人物だった。

そのため豪傑たちは誰よりも宋江を信頼し、宋江に応えようとした。



たとえ何らかの卓越した能力があったとしても、

傲慢で信頼されなければ、心をつなぐことはできない。

宋江には特別な能力はなかったが、

人格の大きさは並み居る豪傑たちをのみ込むほどであった。

たとえ、自分に卓越した能力がないとしても、

人のことを知り、細かいこともきちっと処理し、

信頼されるならば、心をつなぐ力を発揮することができる。

平凡な人物にも光を当てたという点においても、

梁山泊のリーダー・宋江の功績は大きい。

(第三文明2月号より)

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『水滸伝』に学ぶ「心をつなぐ力」

中国宋代の歴史書『宋史』によると、史実の宋江は、

宋に対抗した反乱軍の首領で、

1121年に現在の山東省のあたりで反乱を起こしたとされ、

「宋江は三十六人の武将をもって、

数万の官軍に対抗するほどの能力がある」と記されている。

この史実から、宋江を首領とする三十六人の男たち(のちに七十二人の男たちを加え、

百八人となる)が梁山泊を拠点として、悪と戦う小説『水濡伝』が生まれた。

『水濡伝』での宋江は、地元で採用される役人として登場。

親孝行で義に厚く、弱きを助け、貧しきを労る人物で、

当時の官吏にありがちな汚職もなく、謙虚で、高潔な人物として描かれる。

ところが、それ以外に大きな特徴はない。

大した武勇もなく、軍略的才能も持ち合わせていない。

このような人物である宋江が、なぜ梁山泊の豪傑たちのリーダーとなったのか。

彼につけられたニックネームから、その理由を探ってみたい。

◆「及時雨」

雨が欲しいときに雨を降らせてくれるような人物の意。

最も欲しがっているときに、

最も欲しがっている物を与えるのが宋江なのだが、

何を欲しているのかを知らなければ、与えられない。

宋江は人をよく知り、求めている事物を見抜き、惜しみなく与えた。

「士は己れを知る者のために死す」。

だから豪傑たちは宋江のもとに集った。

(第三文明2月号より)

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◆人間同士の深いきずなのイメージさえ持てない人もいます。

「心の依存」ができるかどうか、を基準に考えてみればよいでしょう。

相手が、自分に依存することができれば、それは信頼してくれている証しです。

相手からすれば、どんな思いも受け止めてくれる存在として、

こちらを見ているわけです。

親子関係と同様に、「心の依存」は、

友人・知入関係にもつくり出すことができます。

出会いの瞬間から、互いに深く理解し合うことは、なかなか難しいものです。

だからこそ、相手の立場・気持ちを考慮しながら、

相手が語る言葉、何を言いたいかを聞き続け、

じっと待つ姿勢を崩さない。

コミュニケーションを図る上で、そうした「空気の読み」は欠かせません。

時間はかかるでしょうが、心のきずなは一朝一夕には結べないからこそ、

貴重な財産となるに違いありません。

もちろん、主張を激しくぶつけ合う中から生まれる「共感」もあるでしょう。

いずれにしても、人問は「感情の動物」であるがゆえに、気持ちが通じ合う。

そうした互いの心を尊重する関係を築いていきたいものです。

心理カウンセラーの高平嘉明氏

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◆新しい友人関係を築くにあたっては、

相手の警戒心・反応を勘繰ってしまうことも……。


相手が対人関係を恐れていたり、傷付きやすい人という場合もあるでしょう。

ですから、相手に応じた付き合い方をすべきでしょうね。

心掛けたい点として、まず「話を聞く」ことです。

相手が話したいことに耳を傾け、理解しようとしてほしい。

弱い自分、ダメな自分を表現してくれたなら、否定したり、激励しないことです。

落ち込んでいる気持ちを分かろうと、努力してもらいたい。

もう一つは、「じっと待つ」ことです。人間関係を深めるには、

忍耐強く待ち続ける姿勢が大切です。

こちら側の"心の窓"を開けながら、待ち続ければ、相手はいつか必ずやってきます。

今の時代、それぞれが仕事や家庭で、いろいろな悩みを抱えています。

たとえ悩みを打ち明けてくれたとしても、

その原因を追究したり、アドバイスをする必要はありません。

臨床心理学者のユージン・ジェンドリンは"何も話さず、一緒にいるだけでも、

人は元気になると論じています。

人間関係を深めるのに、特別なコミュニケーション方法はありません。

「話を聞く」「じっと待つ」ことで十分なのです。

心理カウンセラーの高平嘉明氏

(聖教新聞より)
 
◆私は、和歌山在住の【miz】といいます。

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◆人間関係を深めよう、との姿勢に、古今の差はないのですね。

そう思います。もちろん、

だれに対してもバカ正直に接することはできませんから、

多くの人は"仮面"をかぶり、生活しています。

けれど、仮面を脱げば、みんな同じ、悩みを抱えた人間です。

対人関係に苦しむ人には、そのことを最初に分かってほしい。

希薄化のイメージが強いためか、人によっては、

人間関係を新しく築いたり、それを深めることが難しく感じてしまいがちです。

「世の中に、変な人が増えている」と考えれば、

他人と関わることが、どうしても怖くなってしまいます。

日常の付き合いであれば、不安がる必要はありません。

思い切って、人の輪の中に飛び込んでほしい。

「おはよう」と、あいさつすることから始めましょう。

絵を描くことが好きな方であれば、その種の学校やサークルに通ってみては?

カラオケが好きならば、歌仲間を探してみてください。

日々の暮らしの中でも、ちょっとした工夫で人間関係を深めることができるのです。

自分を売り込むことで、自分の長所が生かされる

それが、私たちの暮らす社会であると思います。

近ごろは、さまざまなメデイアが発達し、

多くの入がそれらに生活時聞を取られがちですが、

人問が人間らしく生きるためには、

やはり生身の人間である他者と関わり合わねばなりません。

今一度、そこに立ち返ることができれば、豊かな人間関係、

潤いのある社会を保つことができるでしょう。

心理カウンセラーの高平嘉明氏

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友人・知人の数だけ、付き合い方があるといってよい。
それゆえ、人間関係を深めることは難しい、と感じる人もいるだろう。
対人関係に一歩深く踏み込み、人生をより豊かにするには、
何を心掛け、いかに行動すればよいのか
心理カウンセラーの高平嘉明氏に話を聞いた。


◆近年、競争社会の進展や地域社会の崩壊などに伴い、
人間関係の希薄化がよく指摘されます。

 
職場であれ、地域であれ、家庭であれ、

一昔前に比べ、社会環境は確かに変化しました。

家庭では、少子化によって、

子どもが多くのきょうだいに揉まれながら育つことも少なくなりました。

テレビや新聞では時々、親子関係の軋礫から生じた事件が報じられます。

ただ、家庭の内外を問わず、対人関係の悩みは、今も昔も変わりません。

人間関係に悩んで、相談(カウンセリング)に来る方は昔から絶えません。

孤独でさびしいという人もいれば、人と交わることが嫌で、

一人になりたい方もいる。

その多くは、生真面目で、物事に敏感です。

人に依存したり、甘えることが苦手な方も多い。

実は、悩むことは、問題解決の出発点です。

彼らにとっては、話せる相手を探すことが何より大切なのです。

たかひら・よしあき
1928年、宮崎県生まれ。辺地教育、知的障害児童教育、
言語治療教育を30数年聞、手掛ける。
その間、治療の專門家になるため、10年にわたり、ユング派の精神分析を受けた。
日本心理臨床学会名誉会員。著書に詩集『奇妙な果実』(土曜美術出版販売)。

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