♪ちょっといい話♪

在宅ビジネス、副業、副収入、SOHOのあい間に、教育、子育て、健康、ダイエット、人生等に「ちょっといい話」の雑誌や新聞の記事を紹介します。

千人の命を救う
 
江戸時代中期の産科医で、賀川玄悦という人物がいる。
 
そんな時代に、男性の産科医がいたのかと、意外に思うかもしれない。
 
でも産科の専門医というのは、人数はわずかだが、
 
実は平安時代から存在していた。
 
ただ、お産は、たいがい産婆が手がけ、
 
難産による死亡率は、かなり高かった。
 
たとえば逆子で、赤ちゃんが外に出てこられずに死んでしまうと、
 
母体も死を待つだけだった。
 
数字が記録として残っていないので、正確にはわからないが、
 
現在、帝王切開は約二割。
 
そこから単純に推定すると、放っておけば二割が難産になり、
 
そのまた何割かは死に至ったのだろう。
 
まさにお産は、男が戦場におもむくのと、同じ覚悟が必要だった。
 
賀川玄悦は、こういった場合に、日本で初めて外科的処置を行ない、
 
母体の命を救った人物だ。
 
もとは近江の生まれだが、京都に出て、鍼や按摩によって、
 
貧しい人々の病気治療をしていた。
 
だがそれだけでは食べていかれず、古鉄の回収業もしていた。
 
四十歳の時、隣の家で難産があり、母体が死に瀕した。
 
玄悦はこれを哀れみ、ひと晩、考えた末、商売ものの鉄鉤を使って、
 
死んだ胎児を取り出し、母体を助けたのだ。
 
以来、千人の産婦を助けたいと誓いを立てた。
 
だが現代の臓器移植と同じように、玄悦の処置も、社会的に大反発を受けた。
 
また特に女性の性に関わることだけに、白い目で見られたことだろう。
 
彼の生涯は、偏見との戦いだったにちがいない。
 
それでも次第に理解され、入門する弟子も増えて、
 
晩年には産科術の専門書を出版するに至った。
 
玄悦の死後も、賀川流産科術は代々隆盛を極め、
 
明治になって西洋医学が導入されるまでに、弟子は二千人に及んだ。
 
玄悦は触診や内診を、日本で初めて行なった医者でもあり、
 
それによって胎児が頭を下にしていることに気づいた。
 
当時は胎児の頭は上向きと信じられていたのだ。
 
これはイギリスのスメリーという産科医と、ほぼ同時期の発見で、
 
世界に先駆けた大発見だった。
 
玄悦は日本が世界に誇るべき人物なのだ。
 
彼の唯一の楽しみは、毎年冬が来る前に、家のない子供たちのために、
 
綿入れの着物を配って歩くことだったという。
 
私は、こんな人物を、もっと知ってもらいたいと願ってやまない。
 
植松三十里
1954年、東京都生まれ。東京女子大学文理学部史学科卒業後、
出版社勤務などを経て渡米。
80年「ハドル・アンド・ブレイク」で集英社青春小説新人賞佳作入選。
専業主婦のかたわら季刊日本語新聞「ひまつぶ新報」を発行。
2002年、「まれびと奇談」で第13回九州さが大衆文学賞佳作入選。
03年、「桑港(サンフランシスコ)にて」で第27回歴史文学賞を受賞し、
これに「燃えたぎる石」を併載して『桑港にて』を刊行。
他の作品に『黍の花ゆれる』『千の命』『天璋院と和宮』などがある。

(第三文明4月号より)

◆私は、和歌山在住の【miz】といいます。

不況で30数年勤めていた会社が閉鎖、全員解雇となり

副収入を捜していた時です。

工場で物を相手に仕事をしていた私にでも出来る在宅ビジネスに出会いました。

おまけに喜んでもらえて副収入になる在宅ビジネスでした。

本当に良かった。(^ △ ^)♭♪ この在宅ビジネスに出会えて!
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